No.97 (フランス革命B)  : 

「ジャコバン派はどのように崩壊したか?」

ジャコバン派は封建的貢租の無償廃止を宣言したが、農民が土地を得て保守
化し、最高価格令などの統制経済に商工業者は反発した。政治ではジャコバ
ン派の「グループ独裁」に続き、反対派を排除したロベスピエエールが「個
人独裁」を開始した。国民は戦時体制としての恐怖政治を受け入れていたが、
戦況が好転すると国民の不満や反感が強くなり、1794年7月にテルミドール
のクーデタでジャコバン派も崩壊した。

<評価の観点>
関心・意欲・態度:

ジャコバン派の別名「山岳派」の命名は、彼らが議場で左翼席の上方に陣取っ
たことに由来することに、大きな関心を抱いて学習に臨んでいる。

思考・判断:
それまでジャコバン派を支えていた農民と商工業者が、前者は土地を得ること
で保守化し、後者は最高価格令に代表される経済統制に反発して、ジャコバン
派から離れていったことを的確に判断している。

資料活用の技能・表現:
革命当時のパリ市民が書き残した日記から、革命広場を血に染めたギロチン刑
に関する部分を読むことによって、ジャコバン独裁からロベスピエール独裁の
恐怖時代(テルール)の雰囲気を実感している。

知識・理解:
最後まで革命のアクセル役を果たしたジャコバン派が、戦時体制を背景とした
とはいえ極端な独裁と恐怖政治に走ったことや、現在の「農業大国」フランス
を支える大量の土地所有農民を生み出した、封建的貢租の無償廃止による農民
の保守化などを背景に、テルミドールのクーデタで崩壊していくことについて、
基本的な知識を身につけている。